鷹ノ巣山
GW終わりの土曜日にやっと時間が取れたので、近所に住む姉と鷹ノ巣山に行きました
奥多摩発の臨時バスで東日原へ。石灰岩の岩峰・稲村岩のわきを登ってゆきます
新緑の稲村岩尾根
足元にはコケ(萌
静かな美しさというか
見とれているとなかなか前に進めません
お昼すぎに鷹ノ巣山の山頂に到着。一昔前に比べて若い人がずいぶん多いです
奥多摩でも随一の眺め。富士山もよく見えました
山頂からは石尾根を下ります
東西方向に伸びるなだらかなトレイル
どこまでも歩いていたいような道
途中、六ツ石山に寄り道して一休み
ヒトリシズカ
チゴユリ
奥多摩駅前で一服。帰りの車窓からはいつもより大きい月が見えました
時刻
関連
- 作者: 昭文社出版編集部
- 出版社/メーカー: 昭文社
- 発売日: 2012/02/17
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第三海堡と城ヶ島
穏やかなサイクリング日和。お花見も兼ねて三浦半島方面に行きました。
朝寝坊して8時過ぎに出発
響橋をくぐって、
汽車道にて
追浜駅前を左に折れて、東京湾第三海堡遺構を見学
東京湾口航路事務所によるCGによる復元写真は、古代の海上神殿に見えなくもない…
水深約40mの場所に築かれた人工島で、着工以来39年にわたる困難な工事*1の末に大正10年竣工。しかしその2年後の関東大震災で海に沈みました*2
ドラクエの城のような建物は「アイクル」という横須賀市のごみ処理施設
どうする?アイクル…→とりあえず見学
遺構の向こうでは日産追浜工場で出来たクルマが船積みされるのを待っていました
「ハマの赤いあんちくしょう」「路地裏の超特急」「ダァ!! シエリイェッス!!」…
名作MAD「けいきゅう!」
京急田浦駅近くの南郷公園に寄り道
京急線とお花見が楽しめる、良い感じの公園でした
横須賀のヴェルニー公園でも軍艦と桜を眺めて
うみかぜ公園にある第三海堡の大型兵舎遺構
走水水源地では桜のフェスティバルが開催中
桜を眺めつつヴェルニーの水を補給
観音崎海水浴場にて
妙に古めかしい構造物だと思ったら、旧軍が建設した構造物とのこと*3
円柱状の物体も、戦時中に弾薬などの荷揚げに使われた桟橋の遺構だそうです
観音崎公園の照葉樹林の坂道を登って
戦没船員の碑を見学。映画「コクリコ坂」の物語の背景は朝鮮戦争での触雷事故でしたが、太平洋戦争中に亡くなった船員は6万人以上、民間人を含めると20万人以上という凄惨なものでした*4
…
浦賀の造船工場わきを通って
南下浦中学校付近にある活断層「南下浦断層」*5を観察したかったのですが…
潮が満ちてしまって判別できませんorz
途方に暮れて?海岸沿いを意味もなく歩いてみたり
寄り道ばかりしていたので城ケ島到着は16時過ぎ
城ヶ島は地層観察に最適なところです*6
地質学会が発行しているリーフレットを参考に歩いてみました
観光橋近くの観察ポイント。リーフレットにはなんだか見てきたようなことが書いてある
この地層はくねくねと曲げられています。これは堆積した地層が海水を含んでまだ柔かいときに海底で地滑りが起き、横から押されて上下の地層の間でこのように曲がった形になりました。
地層が下に凸の形状にたわんでいる様子
馬の背洞門。以前は波打ち際にあったものが関東大震災で隆起したそうです
そこは立ち入り禁止では…
時間がなくて急ぎ足での観察になりました
城ヶ島大橋で夕陽を眺めて、
諸磯の隆起海岸に寄り道
波打ち際に住む穿孔貝の生痕化石は、この場所が繰り返される地震で隆起してきた証拠
例によって暗くなってしまった…京急線と併走しつつ自走で帰ります
帰り際に再び立ち寄った南郷公園。夜桜は昼間とはまた違う風情がありました
走行データ
- 走行時間:7h46m50s
- 走行距離:163.36km
- 平均時速:21.0km/h
- 最高時速:46.6km/h
*1:工学会『明治工業史 土木篇』 第九編 軍事土木@戦前土木名著 100書
*4:大井田孝『戦中・戦後における喪失商船』@山縣記念財団
鶴見線と近代史ポタ
ネットや図書館で見かけた郷土史料などを参照しつつ、鶴見線沿線を自転車で巡ります
休館中の東京電力・電気の史料館前をスタート。電気事業に関わる十万点もの歴史的資料を収蔵し、公共の博物館を凌駕する内容の産業技術博物館なので、再開してほしい...
旧京南変電所の跡地にあり、遙か糸魚川の新愛本変電所から続く旧黒部幹線の終点にあたります
とってつけたような水道橋を渡って、
桜の名所、三ツ池公園に寄り道。気の早いグループが賑やかにお花見をしていました
神奈川県と韓国・京畿道が友好提携?をしている関係でコリア庭園などもあり
サンシュユ
長い滑り台には子供がいっぱい
三ツ池公園のあたりは見晴らしがよく、戦時中は高射砲が設置されていたとのこと
響橋を渡って鶴見駅方面へ
總持寺を見学。福井県の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山
昭和38年に起きた鉄道事故『鶴見事故』供養のため、毎日2回、長い廊下に並行する土間にじょうろで水の線を引くのだそうです*1
モクレンの木が小さく視えるのは、灯籠が大きすぎるため
ありえないほどの大きさの大本殿。傍らには東日本大震災の慰霊碑が
鶴見線の国道駅。信号横の建物の壁には第二次世界大戦中の銃弾の跡が残されています
ガード下の風景
花月園競輪場跡に寄り道。場内は立入禁止で隣のJFEの社宅は取り壊し中でした
大正時代のこと、ここには東洋一と謳われた遊園地がありました*2
花月園は明治政府の政治家や実業家たちの贔屓をうけた新橋の料亭・花月楼*3の流れを汲んでいます。目黒の五百羅漢寺のお鯉さんも元は新橋の芸者さんで、頭山満の勧めで尼僧になったとか
「東の宝塚」と呼ばれた少女歌劇場、大吊り橋、ダンスホール、お化け屋敷、釣り堀…
アイススケート場、プール、豆汽車、動物園、茶店に食堂に五重塔やホテルまで。第一次世界大戦後の好景気にも乗って大繁盛していたそうです*4
潮見橋を渡ると、どこか懐かしいような街並みが
潮田町は沖縄や在日韓国・朝鮮の人達が多く住んでいるところです
寄り道ばかりで走ってないけど昼ごはん。沖縄そば+ジューシー(゚д゚)ウマー
- ジャンル:沖縄そば
- 住所: 横浜市鶴見区仲通3-74-14 鶴見沖縄県人会館 1F
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- (写真提供:tomo_e1970)
隣のおきなわ物産センターでは沖縄のモノがよりどりみどり
昨年も訪れた「故大川常吉氏之碑」のある東漸寺。この石碑の内容が事実なのか、それとも創作なのかがどうも気になっていました。wikipedia:関東大震災の注釈によれば、
^ 実際は、4合ビンに入れられた井戸水を飲み干して見せ、「朝鮮人が井戸に毒を入れたというのはデマである」と、自警団を追い返したのは、朝鮮人49人を保護した川崎警察署長・太田芿太郎警部である(「神奈川県下の大震火災と警察」神奈川県警察部高等課長西坂勝人著)(毎日新聞湘南版2006年9月9日朝刊)
レファレンス協同データベースも”未解決”になっている
質問(Question):
鶴見区の渡辺歌郎という人の書いた、「感要漫録」がみたい。関東大震災の際の、鶴見警察の大川常吉の朝鮮人保護に関して鶴見町議会とのやり取りが記載されていると聞いた。回答(Answer):
「毎日新聞」2005年7月3日 東京朝刊30ページに 記事あり。記事上では、鶴見区内に住む孫が記録を発見とあり、写真は手書きのものが紹介されています。 今井清一横浜市大名誉教授がコメントを寄せています。 国会、NACSIS等、検索するがヒットしません。発見されたのは確認できるが、出版物になっているかどうかは確認できませんでした。
調べてみると、石碑に刻まれた大川常吉氏のエピソードは、中島司『震災美談』(1924年)で紹介されていて、個人の日記がこの内容を裏付けています。『佐久間権蔵日記』*5(1923年9月3日,4日)には大川常吉氏との話し合いの様子が、同じ会合に出席していた渡辺歌郎氏の回想録『感要漫録』*6にも、大川常吉氏の説得力のある演説が記録されています。
- 作者: 青山光二
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1991/10
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環境エネルギー館に寄り道。東京ガスによる子供向けの環境学習施設
屋上のビオトープには、太陽電池パネル
2Fの資料室に東京電力と東京ガスの社史があったので斜め読み
ふれーゆなう!
隣接するゴミ焼却施設の排熱を利用しています
館内には温水プールやトロピカルな温室が
なぜかネオ・アトランティスの空中庭園を連想しました
弁天橋付近
駅前にはJFEが開発した全自動の駐輪場
最近川崎駅近くにも出来たけど、タイヤが細いので車検ではねられた
浅野駅から新芝浦方面へ
その昔、バイトで椅子とか机とか組み立ててました
仕事はきつくはなかったけど、作業場に窓がないのが辛かった記憶が...
安善駅(安田善次郎氏に由来)附近。在日アメリカ海軍の鶴見貯油施設から横田基地へ航空機用燃料(JP-8)を輸送している通称「米タン」。写真のタキ38000形は運用を外れているようです
武蔵白石駅(日本鋼管創業者の白石元次郎氏に由来)
日本鋳造前にあるワイヤー式(手動)の有人踏切
大川第五号橋梁の穴は、第二次世界大戦中の機銃掃射の跡
川崎市『川崎空襲・戦災の記録』には周辺の工場の防空体制や被害状況などがまとめられています
大川支線の終点、大川駅(大川平三郎氏に由来)
休日は一日に三本だけ
午後六時、鶴見行きの最終電車
運河を渡って
終点・扇町は戦時中から祖父が働いていたところ
昭和駅の大カーブ
この日は世界的に有名な(?)お祭りがあったみたいですが、すでに祭りのあとでした
走行データ
- 走行時間:4h18m03s
- 走行距離:56.32km
- 平均時速:13.0km/h
- 最高時速:39.1km/h
関連
*2:「開港のひろば」バックナンバー 関東の大遊園地・花月園と平岡広廣高
*4:斎藤美枝『鶴見花月園秘話 東洋一の遊園地を創った平岡廣高』鶴見区文化協会 2007年
*5: 「開港のひろば」バックナンバー『佐久間権蔵日記』にみる地方名望家と地域の歴史
*6:横浜現代史人物伝 鶴見の医師・渡辺歌郎/吉田律人『感要漫録抜粋』横浜市史資料室
津久井湖ポタ
ロードバイクに乗れないと禁断症状?が出る自転車脳の恐怖。リハビリがてら津久井湖方面に行きました
谷ケ原浄水場そばにある城山ソーラーガーデン
最大出力80kWの小さな太陽光発電所。クルマ1台分くらいのエネルギー
都井沢の信号を右折して城山湖方面へ
ちょっとしたヒルクライムで城山発電所に到着
城山湖と津久井湖との153mの落差を利用した最大出力250,000kWの揚水発電所
城山湖には流れこむ川はないため、発電するためにはポンプで水を汲み上げる必要があります
津久井湖へ下って
津久井湖観光センターで焼き芋(゚д゚)ウマー
津久井湖城山公園に寄り道
「江川ひのき」と呼ばれるヒノキの林があります
高尾山頂付近にある「江川スギ」と同様、幕末の韮山代官、江川英龍により植林されたもの。お台場の築造、反射炉建造、戸田号(洋式帆船)建造など、その先見性は目を見張るものがあります*1
ヤマガラの道案内
根小屋地区のパークセンターを見学
梅の開花がずいぶん遅い…
尾崎咢堂記念館を見学。父方は八王子千人同心の家系だったとか、ワシントンの桜とハナミズキにまつわるお話やテオドラ夫人とのエピソードなど、記念館の方のお話を興味深く拝聴
相模原市津久井郷土資料室を見学。図書コーナーは県内の郷土史料のほか、牧野富太郎、徳富蘇峰、魚谷常吉、戦記物等々、大正〜昭和初期の本が開架で並んでいて、当時の人の思考が垣間見られます。『大正大震火災誌』という本に興味深い記述があったので複写させてもらったり
津久井には明治の中頃、日本で最初に完成した近代水道施設群があります
小水力発電システムは稼動していませんでした(´・ω・`)
大正3年(1914年)に竣工した長さ4358mの城山隧道は今も現役
鮑子(あびこ)取水堰へは立派な石垣の道でした。監視カメラで通報されないうちに退散
俄雨が降りだしたのでうどんやさんで雨宿りなどしつつ
野猿街道、府中四谷橋、多摩川CR経由で帰宅
時刻
走行データ
- 走行時間:5h49m02s
- 走行距離:119.67km
- 平均時速:20.5km/h
- 最高時速:52.5km/h
走行ログ
建長寺〜玉宝寺〜長安寺〜清見寺
図書館で目に留まった雑誌「東京人」の記事*1を頼りに、五百羅漢像のあるお寺を巡ってみました
朝3時、多摩川大橋からスタート
フロント3灯+リア3灯に反射ベスト着用の夜間走行仕様です
横浜のコンビニで朝ごはん
鎌倉の建長寺、山門の楼上には五百羅漢像が安置されています(非公開)
大磯の島崎藤村邸。『桜の実の熟する時』には清見寺の五百羅漢像の描写があります
松並木を抜けて
国府津で日の出
五百羅漢駅近くの玉宝寺
お寺の方にことわって扉を開けると
見事な五百羅漢像。一説によると処刑者供養のためだとか
仙石原方面へ。道祖神のお祭りの山車を見かけました
足柄幹線林道は走りやすい道だけれど、
全然乗れていなかったので脚がまったく回りません…(弱
富士屋ホテルが見えました
仙石原の長安寺
何かの罠、ではなくて、くぐるとご利益があるそうで
ここにも五百羅漢像があり
少し俗っぽいかな…
それなりに表情豊かな石像が境内のあちこちに
仙石原のローソンでエヴァ仕様のコーヒー補給
ススキ野原のあいだの道を抜けて、
駅伝の往路ゴール地点。余韻のようなものを感じるのは自分だけではないようです
箱根峠から一気に下って
沼津港深海水族館を見学。土産物店街の一角にあり、カップルや親子連れで盛況でした。自分は場違いな感じがしたので早めに退出
製紙工場の煙突に見とれてたら道を間違えたり迷ったり
新富士川橋付近
空をながめて、
橋をわたって、
由比PA付近
由比宿を過ぎた頃にはもう真っ暗で
清見寺の門はとっくに閉まっておりましたorz
地元の人たちで賑わうトンカツ屋さんで夕食、興津駅から輪行で帰宅
時刻
走行データ
- 走行時間:9h46m10s
- 走行距離:198.25km
- 平均時速:20.2km/h
- 最高時速:50.2km/h