鶴見線と近代史ポタ

ネットや図書館で見かけた郷土史料などを参照しつつ、鶴見線沿線を自転車で巡ります

休館中の東京電力電気の史料館前をスタート。電気事業に関わる十万点もの歴史的資料を収蔵し、公共の博物館を凌駕する内容の産業技術博物館なので、再開してほしい...


旧京南変電所の跡地にあり、遙か糸魚川の新愛本変電所から続く旧黒部幹線の終点にあたります

とってつけたような水道橋を渡って、

桜の名所、三ツ池公園に寄り道。気の早いグループが賑やかにお花見をしていました

神奈川県と韓国・京畿道が友好提携?をしている関係でコリア庭園などもあり

サンシュユ

長い滑り台には子供がいっぱい

三ツ池公園のあたりは見晴らしがよく、戦時中は高射砲が設置されていたとのこと

響橋を渡って鶴見駅方面へ

總持寺を見学。福井県永平寺と並ぶ曹洞宗大本山

昭和38年に起きた鉄道事故鶴見事故』供養のため、毎日2回、長い廊下に並行する土間にじょうろで水の線を引くのだそうです*1

モクレンの木が小さく視えるのは、灯籠が大きすぎるため

ありえないほどの大きさの大本殿。傍らには東日本大震災の慰霊碑が

鶴見線国道駅。信号横の建物の壁には第二次世界大戦中の銃弾の跡が残されています

ガード下の風景

花月園競輪場跡に寄り道。場内は立入禁止で隣のJFEの社宅は取り壊し中でした

大正時代のこと、ここには東洋一と謳われた遊園地がありました*2

花月園は明治政府の政治家や実業家たちの贔屓をうけた新橋の料亭・花月*3の流れを汲んでいます。目黒の五百羅漢寺のお鯉さんも元は新橋の芸者さんで、頭山満の勧めで尼僧になったとか

「東の宝塚」と呼ばれた少女歌劇場、大吊り橋、ダンスホール、お化け屋敷、釣り堀…

アイススケート場、プール、豆汽車、動物園、茶店に食堂に五重塔やホテルまで。第一次世界大戦後の好景気にも乗って大繁盛していたそうです*4

潮見橋を渡ると、どこか懐かしいような街並みが

潮田町は沖縄や在日韓国・朝鮮の人達が多く住んでいるところです


寄り道ばかりで走ってないけど昼ごはん。沖縄そば+ジューシー(゚д゚)ウマー

おきつる食堂

食べログ おきつる食堂


隣のおきなわ物産センターでは沖縄のモノがよりどりみどり

昨年も訪れた「故大川常吉氏之碑」のある東漸寺。この石碑の内容が事実なのか、それとも創作なのかがどうも気になっていました。wikipedia:関東大震災の注釈によれば、


^ 実際は、4合ビンに入れられた井戸水を飲み干して見せ、「朝鮮人が井戸に毒を入れたというのはデマである」と、自警団を追い返したのは、朝鮮人49人を保護した川崎警察署長・太田芿太郎警部である(「神奈川県下の大震火災と警察」神奈川県警察部高等課長西坂勝人著)(毎日新聞湘南版2006年9月9日朝刊)

レファレンス協同データベースも”未解決”になっている


質問(Question):
鶴見区の渡辺歌郎という人の書いた、「感要漫録」がみたい。関東大震災の際の、鶴見警察の大川常吉朝鮮人保護に関して鶴見町議会とのやり取りが記載されていると聞いた。

回答(Answer):
毎日新聞」2005年7月3日 東京朝刊30ページに 記事あり。記事上では、鶴見区内に住む孫が記録を発見とあり、写真は手書きのものが紹介されています。 今井清一横浜市大名誉教授がコメントを寄せています。 国会、NACSIS等、検索するがヒットしません。発見されたのは確認できるが、出版物になっているかどうかは確認できませんでした。

調べてみると、石碑に刻まれた大川常吉氏のエピソードは、中島司『震災美談』(1924年)で紹介されていて、個人の日記がこの内容を裏付けています。『佐久間権蔵日記』*5(1923年9月3日,4日)には大川常吉氏との話し合いの様子が、同じ会合に出席していた渡辺歌郎氏の回想録『感要漫録』*6にも、大川常吉氏の説得力のある演説が記録されています。

闘いの構図〈上〉 (朝日文庫)

闘いの構図〈上〉 (朝日文庫)

震災の2年後には火力発電所の建設工事をきっかけに、警察も手を出せないほどの喧嘩『鶴見騒擾事件』が起こります。潮田町(東漸寺周辺)はその舞台となりました


環境エネルギー館に寄り道。東京ガスによる子供向けの環境学習施設

屋上のビオトープには、太陽電池パネル

2Fの資料室に東京電力東京ガスの社史があったので斜め読み

ふれーゆなう!

隣接するゴミ焼却施設の排熱を利用しています

館内には温水プールやトロピカルな温室が

なぜかネオ・アトランティス空中庭園を連想しました

弁天橋付近

駅前にはJFEが開発した全自動の駐輪場

最近川崎駅近くにも出来たけど、タイヤが細いので車検ではねられた

浅野駅から新芝浦方面へ

その昔、バイトで椅子とか机とか組み立ててました

仕事はきつくはなかったけど、作業場に窓がないのが辛かった記憶が...

安善駅(安田善次郎氏に由来)附近。在日アメリカ海軍の鶴見貯油施設から横田基地へ航空機用燃料(JP-8)を輸送している通称「米タン」。写真のタキ38000形は運用を外れているようです

武蔵白石駅日本鋼管創業者の白石元次郎氏に由来)

日本鋳造前にあるワイヤー式(手動)の有人踏切

大川第五号橋梁の穴は、第二次世界大戦中の機銃掃射の跡

川崎市『川崎空襲・戦災の記録』には周辺の工場の防空体制や被害状況などがまとめられています

大川支線の終点、大川駅大川平三郎氏に由来)

休日は一日に三本だけ

午後六時、鶴見行きの最終電車

運河を渡って

終点・扇町は戦時中から祖父が働いていたところ

昭和駅の大カーブ

この日は世界的に有名な(?)お祭りがあったみたいですが、すでに祭りのあとでした

走行データ

  • 走行時間:4h18m03s
  • 走行距離:56.32km
  • 平均時速:13.0km/h
  • 最高時速:39.1km/h

走行ログ