泰山荘と湯浅八郎記念館

お昼から都内ポタ。国際基督教大の学園祭を見に行きました。

大学は広大な森の中で、中心にはチャペルがあります

国際色豊かな出店で昼食後、大学の本館へ

戦時中に中島飛行機三鷹研究所の本館として建てられたビルを改装しています

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 増補版

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 増補版

中島飛行機時代の企画展示室で『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』という本を教えてもらいました。B29の本土空襲が始まると工場の拠点は各地へ疎開*1、戦後に国際基督教大学ができました

リベラルアーツの大学なので自然科学系の専攻も多数

湯浅八郎記念館で民芸品と敷地内で発掘された考古資料などを見学。企画展「型紙のデザイン」は学芸員実習の学生さんによる展示解説のおかげで分かりやすかった

ICUの初代学長だった湯浅八郎氏は徳富蘇峰の甥にあたる昆虫学者で、リベラルアーツ教育を行うかたわら、日本各地で民芸品を収集していたそうです

泰山荘の表門。日産財閥の重役の別荘で、後に中島飛行機中島知久平が住まいとしたところ

「待合」備前池田家上屋敷

学生ボランティアさんのガイドで一畳敷に茶室などが増築された「高風居」を見学

隣接する茶室にも戦艦三笠の木材などが使われています

建物は国分寺崖線に沿った、かつての武蔵野の面影を残した場所にありました
幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 (INAX BOOKLET)

幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 (INAX BOOKLET)

INAXギャラリー幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展』で見た「起きて半畳寝て一畳」の空間ですが、その住人たちが激動の時代を生きたのと同様に、伊奈製陶のある常滑などの陶器産地では戦争末期に呂号陶器というロケット飛行機用の燃料タンクや陶器製の手榴弾が作られていました。

中島飛行機時代の遺構?らしきもの



軽いカルチャーショックを感じたりしつつ、写してるのは空ばかり

日が暮れそうなので帰ります

お隣は富士重工の工場とスバルのお店

鶴川街道を南下し

多摩川原橋付近

多摩川CR経由で帰宅

走行データ

  • 走行時間:3h27m57s
  • 走行距離:59.56km
  • 平均時速:17.1km/h
  • 最高時速:44.9km/h

*1:高柳昌久 「中島飛行機三鷹研究所―その疎開と終焉―」 Asian Cultural Studies, Vol. 37, March 2011