鎌倉〜逗子〜二宮

鎌倉・逗子方面へ。徳富蘇峰ゆかりの場所を訪ねてみました

東慶寺に寄り道

みつまた

明治の知識人たちのお墓がたくさんあります。和辻哲朗の墓

鈴木大拙夫妻の墓

蘇峰の碑。東慶寺住職のwikipedia:釈宗演の項には「徳富蘇峰主宰の碧巌会の講師をつとめ、政・財界、夏目漱石居士ら知識人への講義・指導を通じて多くの信奉者をもった」とあります

鎌倉文学館に寄り道


旧前田家別邸として建てられました。先日訪れた駒場の旧前田侯爵邸が本邸です

撮影禁止なので内部の写真はナシ

逗子は蘇峰の弟、徳富蘆花が小説を執筆していたところ

大正元年に建てられた横浜の実業家の別荘が、逗子市郷土資料館として公開されています

蘆花は連載小説「不如帰(ほととぎす)」により逗子の名を世に広めました。書は蘇峰のもの

葉山の海にぽつんと建つ徳富蘇峰の碑「不如帰」

石原慎太郎の碑と岡本太郎の太陽。どこか蘇峰と蘆花の風景に重なって見えました

大磯の新杵に寄り道

西行まんじゅう(゚Д゚)ウマー

徳富蘇峰記念館を見学。展示も凄いのですが、記念館の方のお話が分かり易く面白かった

新島襄の設立した同志社で4年間学んだのち退校

外遊時のパスポート

深井英五(後の日銀総裁)と共に、アジア、欧州、ロシア、米国など世界各地を外遊

ロシアではトルストイと会談したそうです

坂の上の雲でおなじみの秋山真之

米寿記念の本に描かれた大観の富士。山頂の模様を良く見ると…

伊藤博文書簡。政府要人や軍人の書簡もたくさん

夏目漱石書簡。記念館には蘇峰宛の4万通、1万人以上からの手紙が保管されているそうです。太平洋戦争開戦の詔書を添削するなど、戦時中の活動に対しては激しい批判を浴びました

生前自らが定めた戒名「百敗院泡沫頑蘇居士」"頑固"ではなく"頑蘇"なのがポイント

新島襄終焉の地@大磯の碑も徳富蘇峰によるもの

稲村ヶ崎で振り返って一枚

時刻

走行データ

  • 走行時間:6h20m25s
  • 走行距離:148.06km
  • 平均時速:23.3km/h
  • 最高時速:45.0km/h

走行ログ


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